HIJK's 電魂盤 【理】 side Ipsychological depiction 02 INTELLIGENCE
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by hijk at 02月03日(金)03時40分00秒

「自」なる現象を少し詳細に見ると、
「自aは自bである」という時間的分離、すなわち
参照する側の自a(主体)、参照される側の自b(客体)
の分離が見られる。また、これと並行して
「自aは、あらゆる自aでないものではない」という
空間的分離も見られる。

「自」という現象は、以下を一挙に成立させる。
 ・原論理:〜である、〜でないという判断
 ・原空間:AとBを分離し並置する場
 ・原時間:Aを主体と客体に分離し並置する場

世界は、言語と時空によって開闢されるのであるが、
その言語と時空を一挙に成立させる原理が「自」なのだ。

哲学 by hijk at 10月05日(水)21時41分26秒

哲学に取り組むには、確かにある程度の知識と論理性は必要と思うが、
一番大事なのは、現状や世界の不気味なまでの無目的性と不条理・
不合理を嗅ぎ取る感性だと思う。世界が世界であり、自分が自分である
という違和感に突き動かされずに、パズルを弄んでも意味が無かろう。

神への挑戦 by hijk at 09月25日(日)14時07分50秒

小説『神への挑戦』やっと書き上がった。まだまだ荒削りだけれど
書きたいと思っていたことをワリと掘り下げて書けて良かった♪
http://www.netlaputa.ne.jp/~hijk/philo/docs/god_eater.html

Re: 情報処理プロトコルとしての実装 by hijk at 09月17日(土)22時40分28秒

厳選して3冊の本をご推奨申し上げます。

(1) ハヤカワ文庫SF『ディアスポラ』(著)グレッグ・イーガン
 生命進化モデルを踏まえたアルゴリズムで「我思う故に我あり」
 の知的意識が誕生する第一章『孤児発生』だけでも一読の価値あり。
 娯楽小説ですが、何せイーガンですから読み応えはバッチリです。

(2) NTT出版『進化する自由』(著)ダニエル・C・デネット
 生命進化から意識(自我)発生のメカニズムを概説した上で、
 物理相と精神相の関係を明快に解説し、唯物論と自由意志の両立を
 説いている。テーマは高尚だけれど、くだけた翻訳で読み易い。

(3)青土社『生命壱号』(著)郡司ペギオ‐幸夫
 生命の本質を看破し、明確な構想の下にコンピューター上に実装し、
 実際の生命と比較実証する、難解で型破りな本。プログラマーなら
 萌えるはず。口先だけでなく本当に実装することの迫力を味わえる。

情報処理プロトコルとしての実装 by あきら at 09月17日(土)18時07分59秒

ご理解頂けた様で、有難う御座います。
仰る通り、「絶対的で明確な意識の定義」がされない限りにおいて実用的な意見です。
ただし、進化に習い「相対的な意識」を実装しようとすると非常に困難です。

下記が今考えている実装手順です。

(1)生存本能
 まず、生存する意味を持ちません。
 人間は、産まれてきてから常に「死なない」様に行動することが「本能」として埋め込まれています。
 この「本能」すら持ち得ないのが、コンピュータであり、まず、「本能」を定義する必要があります。

(2)生存競争
 (1)を実装した上で、「生存競争」が発生しないと、高度な情報処理をする必要がありません。
 その為、「生存競争」を発生させる必要があります。

(3)繁殖行動
 ある個体が同じ情報処理形態で存在し続けるのには、「生存競争」上、不利となります。
 その為、「分裂」や「生殖」といった「繁殖行動」が必要になります。
 これも「本能」の範疇に入るかも知れません。

ここまで(1)〜(3)は、過去にプログラム上で実装されており、非常に有益な発見があったことで知られています。

以下は、「人間と同等な意識」を持つ必要です
(4)社会的活動
 「生存競争」や「繁殖行動」などを「群れ」で行う必要があります。
 「群れ」で行うことにより、生存率が「個体」のみより上昇します。
 また、「個体の遺伝情報」の伝達率も上昇します。(ミツバチなどでも実証済みです)
 「群れ」の形態は様々ですが、どの形態でも「コミュニケーション」が必要になり、「言語」が生み出されます。

その後は、(1)〜(3)を(4)を上手く使いながら「進化」していけば、「人間」に近づく可能性があります。
しかし、「人間」と同等に「言語」が使えるようにならないと、「人間」が「意識」と認識できません。
その為の調整が各段階において必要だと思われます。
調整と言うと簡単に聞こえますが、人類の進化を再現することになります。
実現する確立的には、天文学的数値です。

進化に習う方法より、「人工無脳」をより発展させた方法が現実的だとも考えています。
ラブプラスに熱中している人を見ると余計にそう思います(笑)
しかし、「人工無脳」では、やはり「我思う故に我在り」に辿り着けるのかが疑問として残ります。

早く「絶対的で明確な意識の定義」がなされる日が来ることを祈ります。

意識にとっての他者 by hijk at 09月15日(木)01時21分41秒

 (1) 「意識」が発生するには、生存競争を起こす「他者」が必要
 (2) 「意識」を判定するには、対照標準としての「他者」が必要
…という感覚をお持ちだ、ということですね。
「絶対的で明確な意識の定義」が確立されない限りにおいては、
いずれも常識的・現実的・実用的な考え方だと同意致します。

明確に定義して頂き有難う御座います。 by あきら at 09月14日(水)18時59分59秒

定義して頂いた通りです。

そもそも、世界に「意識」が一つしかない状態というのは、存在し得ないと思っています。
それは、「生存競争」の過程で発生したソフトウェアが「意識」だと思っているからです。
「生存競争」が発生しない世界では、「意識」は発生しないと思っています。

>★なるほど、そうすると、絶対的で明確な意識の定義が出来た暁には、
>  意識の比較対照標準である他者Aはむしろ不要になるわけですね。

仰る通りです。
絶対的で明確な意識の定義ができた場合は、「意識」の存在に「他者」は不要となると思います。
むしろ、冗長な情報となってしまうでしょう。

>  私は意識とか心理的体験は、情報処理のプロトコルとして
>  明確に定義できると考えているので、他者Aが不要に思えます。
情報処理のプロトコルとして、明確に定義されることは、確かにあるかもしれませんね。
ただ、そのプロトコルを試験する際に「他者A」は必要になると思いますけど(笑)

> 意識現象はいつかすっかり解明されると思いますが、そもそも
> なぜ情報処理だの時空だのといったものが成立する世界なる
> ものが存在するのか、という事が、目下の私の大疑問です。

いいホームページをご紹介頂いたので、お返しに本をご紹介します。
「ホーキング、宇宙と人間を語る 」です。
現在の物理学に関して、分かりやすく書かれています。
この世界を表す理論も出てくるので、もしかすると、疑問もある程度解決できるかもしれません。
天動説、地動説の質問を出しましたが、この本の受け売りです(笑)


Re: 意識の観測について by hijk at 09月13日(火)06時41分17秒

ううむ、以下のような事を考えていらっしゃるのでしょうか。

(1)世界に意識が一つしか無い場合:
  それでも確かに自己意識はあり得るが、それでは
  意識が「ある」と認定する他者がいないため、自己判定
  しか出来ず、意識の定義が明確で無い以上、それを
  「意識である」と判定することは出来ないのではないか。
(2)世界に意識が二つ(以上)有る場合:
  お互いに意識が「ある」と認定でき得る世界。
  意識が「ある」とは、このような相対的・相互的な
  比較・認定に拠るしか無いのではないか。

> 結局、「明確的な意識の定義」は出来ず、「相対的な意識の定義」
> しかできないのでは?と思っています。

★なるほど、そうすると、絶対的で明確な意識の定義が出来た暁には、
  意識の比較対照標準である他者Aはむしろ不要になるわけですね。

  私は意識とか心理的体験は、情報処理のプロトコルとして
  明確に定義できると考えているので、他者Aが不要に思えます。
  例えば以下の「幻想のホムンクルス君」「クオリアの発生」
  「意識の円錐モデル」のようなことを考えています。
  http://www.netlaputa.ne.jp/~hijk/philo/docs/todo.html#S1_3

 意識現象はいつかすっかり解明されると思いますが、そもそも
 なぜ情報処理だの時空だのといったものが成立する世界なる
 ものが存在するのか、という事が、目下の私の大疑問です。

意識の観測について by あきら at 09月12日(月)19時27分13秒

>(1) 無人島に私が一人だけがいる状態でも、私は他者Aを
>  必要とせず、私には意識が有ると判別できます。
私は、それについては「シュレディンガーの猫」の考え方を取っています。
何度も書きましたが、私は「我思うゆえに我あり」を基礎としています。
仰る通りです。hijkさんには、矛盾と考えられるかも知れません。
しかし、「我」を認識する為には、「我」を相対的に判断できる「他者A」が必要と思っています。
「他者A」との「相対的」な比較において「我」を認識すると考えています。

私は「他者A」を「チューリングテスト」の「試験者」として考えています。
ですから、
>(2) むしろ、哲学的ゾンビ、他我問題などに見るように、
>  他者Aからは意識の有無は判別できないと思われます。
のご意見は、その通りで、「哲学的ゾンビ」や「他我問題」の解決には至っていません。
勿論、「チューリングテスト」も万能ではなく「中国語の部屋」のような反論も存在します。

確かに「哲学的ゾンビ」や「他我問題」などの問題に真剣に取り組み「絶対的な意識の定義」を持たないと、仰る通りに判別できないでしょう。
しかし、今現在の状況では「哲学的ゾンビ」は、実在しませんし、実在したところで「普通の人間」との違いは判別できません。
また、「他我問題」も「他者」が「どう感じているか」なんて「他者」にならない限りわかりません。
将来、攻殻機動隊のような世界になって、他人にハッキングできれば分かるかもしれませんけどね(笑)。

結局、「明確的な意識の定義」は出来ず、「相対的な意識の定義」しかできないのでは?と思っています。
要するに比較対象となる「他者A」が必要では?ということですね。

ついでに付け加えますと今まで説明してきた「他者A」は別に人間でなくてもかまいません。
「他者A」と同様な「意識」を持つモノであれば何でもいいんです。
ですから、「他者A」は「犬」でも「猫」でも「魚」でもいいんです。
「他者A」は、広義に捉えれば「環境」とも言い換えることができるかも知れません。
まぁ、出来れば人間に近ければ近いほどいいですけど。

>意識にとっての他者Aの必然性を示す道は険しそうですね。
仰る通りですね。険しいです。
しかし、こう色々な議論を交わしていく中で様々な発見があり、楽しいです。

Re: 他者Aについて by hijk at 09月12日(月)18時14分26秒

(1) 無人島に私が一人だけがいる状態でも、私は他者Aを
  必要とせず、私には意識が有ると判別できます。
(2) むしろ、哲学的ゾンビ、他我問題などに見るように、
  他者Aからは意識の有無は判別できないと思われます。

「我思うゆえに我あり」を基礎としながら、上記(1)が意識の
有無の判別には当たらないとし、逆に何故か(2)が克服されて
他者Aが意識の有無を判別できるとする理由が分かりません。

もしも、シュレディンガーの猫や、観測による波束の崩壊が
意識の有無の判別と関わるとしても、観測行為なるものが
意識を前提とせず、どう定義されるかを示す必要があります。

意識にとっての他者Aの必然性を示す道は険しそうですね。

他者Aについて by あきら at 09月12日(月)15時01分31秒

>意識に他者Aが必要であるという部分が分からない。

これは、「意識」の有無を確認するのに、他者Aが必要という意味です。
ですから、「意識」に「他者A」は必要ないです。
しかし、その「意識」の有無を判別できなければ、無いものと同じことに。
なので、「意識」には、「他者A」が必然的に必要となります。

これは「シュレーディンガーの猫」の考えを私が取り入れているからです。

Re: 自身も含めた他者って by hijk at 09月11日(日)18時25分29秒

> 「自身も含めた他者」=「他者」+「自分を客観的に見た状態」
★意識に一種の自己客観視が含まれている、その意味での他者性は
 良く分かります。従って上記等式の右辺第二項は納得できます。
 問題は、それを取り除いた純粋な右辺第一項の「他者」です。

 他者=他者A+他者Bと書き換えましょう。
 他者B=客体化された自己、他者A=それ以外の純粋な他者。
 私の立場は、意識に他者Bが必要であることは完全同意、
 意識に他者Aが必要であるという部分が分からない。

> 「他者」からの観察で、「意識」が判別できなければ、
> 「意識」はありません。
★この「他者」について、他者Bについては完全同意。
 他者Aが含まれるとなると、その必然性が分からない。
 無人島にいても、世界に自分がたった一人いる場合でも、
 意識がある状態は、想定できると思えるからです。

自身も含めた他者って by あきら at 09月11日(日)12時42分19秒

>★頭が悪くて申し訳ありません。

そんな『頭が悪くて申し訳ありません』なんて。
こんな話をHPで取り上げてるだけでも、凄いと思いますよ。

> 「自身も含めた他者」、って、なんか難しそうな概念ですね。
「自身も含めた他者」=「他者」+「自分を客観的に見た状態」です。
これは、単なる言い換えです。
原典は「我思う故に我在り」です。
私の知識では、これ以上明確に「意識」を表した言葉を知りません。
そういう意味では、何百年経っても人間は、進化していないのかも知れませんね。

プログラムで考えると、
「自分が、存在するのか?」と疑問に思うプログラムが「意識」を持っていると言えるかも知れません。
しかし、「他者」からの観察で、「意識」が判別できなければ、「意識」はありません。
なんか、ややこしいですね・・・。
なので、実装が非常に難しいです。
「人工無脳」を極めれば、「他者」からの「意識」が判別できます。
ただ、「自分」で「意識」に疑問を持つことが難しいのです・・・。
その点は、hijkさんのプログラムは後者の実装に成功しているのかもしれません。
私では、如何せんアウトプットが「意識」の有無を感覚的に判断できかねるので・・・。
私の方が、頭悪いですね(笑)。

Re: 意識の認識 by hijk at 09月10日(土)15時55分50秒

> 何度も書きましたが、「意識」とは、「自身」も含めた「他者」から
> 「存在」を認められた時点で、存在するものです。

★頭が悪くて申し訳ありません。
 「自身も含めた他者」、って、なんか難しそうな概念ですね。

意識の認識 by あきら at 09月05日(月)19時46分40秒

hijkさん
>空と海を眺めているこの意識までは消えたりしませんよね…。

消えませんね。
前回の書き込みにも「同様に「自身」からの観察を持って、「意識」の有無が決定されるのではないでしょうか?」
と書きました。
何故なら、「空と海を眺めているこの意識」を認識した時点で「意識」が存在します。
「空と海を眺めている」と言う様に「何を見ているのか」を「意識」している時点で「意識」が存在します。
人間の「視覚」や「聴覚」などの五感は、実に様々な情報を入力してくれます。
しかし、それを「意識」的に取捨選択し、それに基づき行動しています。
試しに、空と海を眺めていながら、別のことを考えると、空と海は「意識」から消えます。
何度も書きましたが、「意識」とは、「自身」も含めた「他者」から「存在」を認められた時点で、存在するものです。

通りすがり〜なT世さん
>絶対は、相対の1つであって、馴染みやすい相対であるくらいなだけです。
そうですね。
「絶対」とは、明確な基準が存在する「相対」ですものね。
ただ、私は自分は「絶対」とは、思いません。
何故なら、自己矛盾を常に抱えている為です。
また、時間とともに、自己を変貌させることが非常に多いからです。
一般的には、「成長」なんて言い方をしますが。
「信念」を貫ける人は、「絶対」的な思考を持っているのでしょうね。
まぁ、少ないでしょうし、単なる頑固な人間にしか見えない可能性も高いですが。

Re: 絶対性や相対性と、自。 by hijk at 09月03日(土)06時34分28秒

いらっしゃいませ〜、通りすがりのカキコ有難うございます。
仰る通り、絶対か相対かは視点の選び方で変わりますね。
しかし両方を自在に切り替えられる人は意外に少ないようです。

絶対性や相対性と、自。 by 通りすがり〜なJ世 at 09月03日(土)04時42分49秒

絶対は、相対の1つであって、馴染みやすい相対であるくらいなだけです。
もちろん、自分は、他者や環境などにもよって可変ですから、相対的ですけど、
自分にとっての自分を含めた全ては、常にその可変な現在の自分が基準ですから、
自分は絶対的でもあります。

意識の相対性 by hijk at 09月02日(金)16時32分46秒

> 要するに「他者」から「意識」があるように思われると、
> そこに「意識」は存在するのです。
★拝見する限り、他者・社会から私という存在の外延・役割・属性が
 決められている、という事は分かりますし、賛成します。一方で、
 なぜこれが内包・意識を存在させるのかは、分かりませんでした。
 (※無人島にいたら、夫・親・子・上司・部下・友人といった役割
   とそれに伴う行動・表情が消失するのは分かりますが、しかし
   空と海を眺めているこの意識までは消えたりしませんよね…。)

 「意識」という言葉で示しているものが違うのかも知れませんね。

ご回答有難う御座います。 by あきら at 09月02日(金)14時19分43秒

><私>という掛けがえのない何者か、すなわちイマココなる自己概念、このリアルなナマ体験の核なるもの

それは、絶対的なものでしょうか?
私は、hijkさんのご職業を知りませんし、年齢も分かりません。
ただ、プライベートの「hijkさん」と仕事もしくは学業をしている「hijkさん」は、同一の「意識」と言えるでしょうか?
「他者」から見た「hijkさん」は、プライベートと仕事もしくは学業をしている場合では、異なるように見えるのでないのでしょうか?
恋人や妻に見せる顔、上司や先輩に見せる顔、部下や後輩に見せる顔、親しい親友のみに見せる顔、すべて異なるのではないですか?
確固たる「意識」とは存在せず、「他者」からの刺激によって反応する「意識」のみが存在するのではないでしょうか?
「我思う故に我在り」。
要するに「我」を意識しないと「我」は、存在しないのです。
これは、「我」の「意識」を客観的な視点から見た「我」の「意識」が存在する。
だから、「我」に「意識」が存在する。
という理論だと理解しています。
要するに「他者」から「意識」があるように思われると、そこに「意識」は存在するのです。
このような回答をしている「あきら」は、実はボット(プログラム)かも知れません。
しかし、掲示板を通じてhijkさんは、「あきら」に「意識」があると思っています。
ですよね(笑)
ですので、「他者」からの観察を持って、「意識」の有無が決定されるのではないでしょうか?
同様に「自身」からの観察を持って、「意識」の有無が決定されるのではないでしょうか?

>地動説です。

「地動説」は、太陽を中心にした考えです。
「天動説」は、観察者(地球)を中心にした考えです。
二つの説の違いは視点が違うだけです。一般相対性理論です。
ですので、私の答えは、「両方正しい」です。
同じ「事象」を観察したとしても、その「視点」が異なれば、「結果」も異なります。
これが、私が「相対的な観点」で「意思」についての見解を書いている理由です。

やはり、私とは異なる見解をお持ちのようで、楽しいです。
異なる考えの方と議論することは、新たな刺激を受け、発見につながりますね。

Re: 自己概念について by hijk at 09月01日(木)22時00分50秒

> あくまでも、「絶対値」としての「自己概念」無しには
> 「意識」が存在しないという認識ですね。

★はい、仰る通りです。この、頭蓋骨の内側から世界を見ている
 <私>という掛けがえのない何者か、すなわちイマココなる
 自己概念、このリアルなナマ体験の核なるもの………これを
 抜きにした「意識」なるものを、私は想像すらできません。

> 「天動説」と「地動説」どちらが正しいでしょう?

★地動説です。

自己概念について by あきら at 09月01日(木)18時19分34秒

上手にまとめて頂いて有難う御座います。
分かりにくい文章で申し訳ありません。

言いたかった事は、
 (1) 「意識」←「意識の生成」+「意識の発達」
 (2) 「意識の生成」← 「生存本能」
 (3) 「意識の発達」← 「感情」 ← 「生存本能」 + 「理性」
です。

(2)のみですと、「意識」は存在するかも知れませんが、人間が認識できるか分かりません。
恐らくできないでしょう。
例えば「カブトムシ」に意識は存在するのか?ということです。
「カブトムシ」が「我」を「我」と認識しているのか?を確認する術がありません。
ですので、(1)の「意識」とは、人間が認知できる「意識」です。

hijkさんと私とで、大きく「意識」の考えに関して異なる点は、絶対と相対です。
hijkさんは、「自己概念」を生成しようとしています(それが必須ですね)。
あくまでも、「絶対値」としての「自己概念」無しには「意識」が存在しないという認識ですね。
※認識違いがありましたら、ご指摘下さい。
私も、「自己概念」は必要だと思いますが、それは「相対的」なのです。
「他者」との関係において、「自己概念」を確立させるのです。
「イマココ」は、「他者」と比べて算出される値であり、「絶対値」ではないのです。
(分かりにくい表現ですみません)

hijkさんに質問です。
「天動説」と「地動説」どちらが正しいでしょう?
この問いに対する答えが、hijkさんと私の考えの違いを表してくれると思います。

意識の生成と発達 by hijk at 09月01日(木)15時35分11秒

AにはBが必要だ、AはBに由来する、というようなことを
「A←B」と表記するなら、以下の事を仰っていると理解しました。

 (1) 「意識」←「意識の生成」+「意識の発達」
 (2) 「意識の生成」← …?
 (3) 「意識の発達」← 「感情」 ← 「生存本能」 + 「理性」

人間の高度な意識なる現象が実現されるには、先天的な生存本能や
後天的な理性による上記(3)「発達」が必要、というのは分かる気も
します。ではそもそも、上記(2)の「生成」は、どう為されるのか…。

やはり、「意識の生成」には、自己参照という計算プロセスの実装が
必要だと思います。自己概念(=情報重心=イマココ)を生成し、その
自己概念自身も次の自己概念の生成に組み込まれるような計算過程です。

またまた、長文駄文で、失礼します by あきら at 09月01日(木)14時59分54秒

またまた、レス有難う御座います。

確かにC→Dに関しては、唐突ですね。
「感情」に関しては、幾つか生成されるパターンが存在すると思っております。
その一つとして、「経験」から導かれるパターンを示しました。
他のパターンとして、突発的な出来事に対して、対応できない場合の「驚き」などがあると思ってます。

レスのお答えとしては、「感情」は「生命論的な快・不快を予測できるようになること」とイコールでは無いと思っております。

生命の存続に必要な事柄が「快」。
生命の存続に危機を及ぼす事柄が「不快」と思っております。
もちろん、直接的な危機でなくても構いません。
ただ、怪我をするや必要な栄養が得られないなども、「不快」になると思います。
脳内では、ドーパミンなどが役割を担っていると思います。
これは、以前のレス@〜Cに相当します。
この「快」と「不快」の感覚と「理性」の混合が「感情」だと思います。

「理性」に関しては、生命の存続とは別な「社会的な規範」や「他者との関係」と考えています。
「理性」は、後天的に学習する項目であり、「意識」の発達に関わってくると思います。

「意識」の生成には、「快」と「不快」が必要であり、「意識」は「生存本能」に由来すると考えています。
以前にも、同様の内容を書かせていただきました。
しかし、「我思う故に我在り」の「我」を理解するには、「理性」が必要であると思っています。
先ほども書きましたが、「理性」は後天的に学習する項目です。
言い換えると、人間ですら生まれたての頃は「我」を意識することは難しいのではないでしょうか?
あくまで推論ですが。
後天的に「理性」を学習する、「他者」を認識する、という過程を経て、「我」を意識するのではないでしょうか?
特に「他者を認識する」という行為がなければいけないと思います。

これは、子供の発達段階にも同様な状況が見て取れます。
1歳までは、「快」「不快」に基づき行動します。
1歳を過ぎると、周囲の環境に興味を示し、「環境」を学習していきます。
2歳までは、「他者」との協調はできません。あくまで「利己的」に振る舞います。
2歳以降になると「他者」との協調を学びます。
それと「第一次反抗期」に入ります。
この「反抗期」を経ることにより、「我」がより確立します。
あくまで、年齢は目安であり、個人差がありますが。

ですから、「意識の生成」に関しては、「感情」は不必要だと思います。
あくまで、「快」「不快」の「生存本能」のみが必要です。
ただ、「意識の発達」に関しては、「感情(「生存本能」+「理性」)」が必要だと思います。
しかし、人間が認知できる「意識の生成」を目指すとなると「意識の発達」がある程度進まないと「意識」として認識できません。
結果として、「意識の生成」と「意識の発達」の両方を満たす必要があるのではないでしょうか?

意識の生成過程 by hijk at 08月31日(水)06時55分35秒

> 概念や記憶を「経験」として、「未来」を予測する
> という思考の進化です。

★仰る通りと思います。この思考が可能になる前提として、
 「イマ」という概念が必要ですが、これが私の言う
 「情報重心」(=イマココ)です。勿論、身体重心の
 計算が完全では無いように、情報重心の計算も、計算容量が
 許す程度の精度で実行・継続されることになります。

> 私が考えた「意識」の生成に必要な過程

★@〜Cは条件反射の積み重ねとして解釈できると思います。
 この過程が、今私たちがこうして感じている「私が私である」
 という不可思議な意識現象を、どうして生むのかは、もう少し
 説明がいるように思います。C→Dも少々唐突な気がします。

 おそらく、「感情」がキーワードになると思います。
 学習により生命論的な快・不快を予測できるようになることと、
 感情という現象が、イコールなのかどうかですね。

私の意見を少々 by あきら at 08月30日(火)19時10分15秒

hijk様

レス有難う御座います。

「生命の進化には無駄がありません」というご意見ですが、私の意見は若干違います。
「生命の進化は、環境に最適化した個体が生き残る遺伝的アルゴリズムを実行中」という捉え方です。
要するに、「無駄」が存在します。
この「無駄」によって、淘汰される「種」が存在するかも知れません。
例えば、「アホウドリ」。
この鳥は、人懐っこい為に、狩猟の的にされました。
「人間」も勿論、環境の一部であり、自然の一部です。
「人間がいる」という環境に適していなかったという考え方ができます。
環境に適していなかった場合は、淘汰されます。
ですので、「環境に最適化した個体が生き残る遺伝的アルゴリズムを実行中」と考えています。
まぁ、ダーウィンの進化論が正しい場合ですが(笑)。

「計算過程の進化」を興味深く拝見させて頂きました。
(1)に関しては、同一意見です。場所の把握と身体の動きを司るのには、必須ですから。

それ以降は、私の考えは異なります。
もう少し、雑と言いますか、生物の進化に習う方法です。
それは、概念や記憶を「経験」として、「未来」を予測するという思考の進化です。

これはhijkさんが言う「情報重心」を計算・参照する結果と大差はないかもしれません。
実際には、同様な挙動をする可能性が高いと思います。
ただ、プロセスの違いです。
しかし、hijkさんが言う「情報重心」を計算・参照するやりは、莫大な時間を生きる生物に進化した場合、「情報重心」の計算に必要な概念や記憶が莫大になってしまいます。
その為、一歩踏み出す決意をするのに、時間がかかり過ぎてしまいます。
※認識違いがあったらすみません。ご指摘願います。

私が考えた「意識」の生成に必要な過程は以下のようになります。
@記憶より、因果関係を精査する。(手を動かした→痛い)
A因果関係より、「概念」を作り出す。(ある共通の項目があれば、「概念」としてまとめる)
B「概念」を踏まえ、記憶から「経験」を作る
例えば
「犬」に「手」を「出す」→「犬」に「噛まれた」、「痛い」
という「経験」です。
C「経験」から、「未来」を予測する
例えば
「犬」には、「手」を「出す」と「痛い」
D「未来予測」から「感情」を作り出す
例えば
「犬」→「痛い」から「恐怖」という感情が出来上がります。

ここで重要なのは、「自分」という単語が一つも出てこないことです。
これは、この「意識」が社会的な生活を営むまで、進化していない為です。
「自分」を意識させるには、「自分」と同等の「他者」を意識する必要があります。
「他者」を通して、「自分」を認識させるということです。
ですので、上記の@〜Dに「他者」を登場させます。
特に、@とAに「他者」を入れれば、「自分」が相対的に完成されます。

私は、「意識」とは、「生存競争」の産物と書きました。
もう少し具体的に言いますと、「意識」とは「環境」との関係性で現れる「感情の挙動」と思っています。
特に「環境」が「他者」との関連を強く表す場合、「自分」を意識するのだと思います。
ですから、「カブトムシ」には、「自分」という概念は「繁殖期」にしか無いと思います。
それ以外は、「カブトムシ」は「我思う故に我あり」の「我」って何?になると思います。
「カブトムシ」に直接話しを聞けてないので、正しいかは分かりませんが(笑)


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