天皇皇后両陛下が、サイパン島を慰霊のために訪れています。観光ツアーでサイパンを訪れたことがある方なら、ほとんどがバンザイクリフへ行かれたことがあるのではないでしょうか。サイパン島の北端にあるバンザイクリフ、スーサイドクリフは、島の南端に上陸した米軍から逃げるため、多くの人がたどり着き、そして、崖から自ら身を投げて亡くなった場所です。奇しくも、島の中で最も日本に近い場所でもあります。向こうの崖の奥がバンザイクリフです。この辺りは砂浜ですが、島の北側は海に面した崖になっています。サイパン島は、当時のほかの植民地とは違い、日本が侵略した場所ではありません。長くスペインの植民地であったのが、ドイツに譲渡され、続いてドイツから日本に譲渡されたといういきさつがあり、当時反日感情はさほどなかったと聞いています。そのため多くの日本の民間人がサイパン島へ渡り、主にさとうきびのプランテーションなどで働いていました。女学校があったくらいですから、いかに多くの日本人がサイパンで生活していたのかがわかります。その結果、米軍が上陸した際に、多くの民間人が犠牲になってしまいました。ちょうど10年前、サイパンでは、「サイパン解放50周年」ということで(現在はアメリカの信託統治領になっているので、アメリカ側からみた「解放」ということですね)大きな式典がありました。明日両陛下が訪れるという「アメリカ慰霊公園」というのも、そのとき作られた公園だったと思います。10年前、もちろん多くの日本人の方もサイパンを訪れました。中には、バンザイ、スーサイドの生き残りの方も多くいらっしゃったそうです。当時の女学生の方も数多く・・・級友は亡くなってしまったのに、自分は生き残ってしまって申し訳ないと・・・その思いを抱えて50年も生きてこられたなんて・・・私は人づてに話を聞いただけですが、胸が詰まる思いでした。こんな悲しい歴史があるにも関わらず・・・人間とはおろかですね。今でも世界の各地で戦争が起きています。一日も早く、世界に平和が訪れることを、願わずにはいられません。FLAME TREE。四季のないサイパンにおいても、ある季節にしか咲かない花。サイパン在住の日本人は、「南洋桜」と呼んで日本を懐かしんだそうです。#前にもこの話をDiaryに書いたことがあると思うのですが・・・両陛下の慰霊のニュースを見て、また書きたくなりました。2度読んでしまった方、ごめんなさいね。